2005.11.29
やったー






作品の写真がオランダのメジャーな新聞に大きく載った。
夜友達が見つけて電話で教えてくれて、新聞を買いに走ってしまった。
やっぱり嬉しいな、こういうのって。
このNRC HANDELSBLADという新聞はここ数年ライクスのオープンスタジオに関してはネガティブだったらしいが、今年はかなりポジティブに書かれていたらしい。でもオランダ語だから読めない。
友達に部分的に英語に訳してもらったけど。

展覧会の最終日、自分の作品のスペースに行くと、白髪の小さなおばあさんが、作品の中に自分の折りたたみのいすを置いて座っていた。
僕は彼女の邪魔にならないようにそっと壁際に行って立っていた。
彼女はこちらへ来て話しかけてきた。
「私がここで座っていても気にならない?」
「いいえ。もちろん、大丈夫ですよ。」
「あなたがこれを作ったの?」
「はい。」
すると彼女は目に涙を浮かべながら抱きついてきて、
「87年生きてきたなかで、この作品が一番。」

さすがにこっちの方が感動した。
僕より60歳も年上の女性。
彼女は僕の両手を握りしめて、いろいろと話をした。
新聞の写真を見て、真っ先に僕の作品のところに来てくれたらしい。
「もう他の作品は見たくないわ。これだけ見て、家に帰る。」
「他にもいい作品は沢山ありますよ。」

誰かの心をそこまで強く揺さぶることができたということに、自分自身少し驚いたが、こんなに嬉しいことはない。

一番下の写真は、スポットライトの作品。
案の定、壁がないと人々は素通り。
誰も作品があることに気づきもしないので、仕方なく作品の説明を書いた大きな張り紙を作った。
赤、青、緑の三色のスポットライトが人の立つ場所によってセンサーで反応して、その色の組み合わせで投影された四角い床の色とそこに立った人の影の色が変わる仕組み。
小さな子供が興奮して遊ぶのを見るのは嬉しい。


2005.11.24
完了




昨日とうとうプレスのオープニング。
当日朝6時になんとか全部完了して帰って昼過ぎまで寝た。
前日中には余裕で終わるはずだったのに、最後にとんでもないことが起きた。
スポットライトの作品のために作った仮設壁を撤去しろと。
しかもその向こう側に展示したドローイングも、それにぴったり合わせたスポットライトのライティングも撤去。
そのスペースの向こう側にある部屋のビデオプロジェクションをスポットライトの作品のある廊下側から見えるようにしたいという理由で。
オープンアトリエはアドヴァイザーの一人がキュレーターの役割を担って展覧会全体をオーガナイズするのだが、最初からこの人はあんまり好きじゃなかった。でもメインのインスタレーションのためのプロジェクトルームを一人で使わせてもらえることになったから、なかなかいいとこあるな、と思っていたら、最後にやられた。しかもオープン前日になって。
しかもその壁は一週間以上も前に作って彼も先週見ていたし、ドローイングを展示することも話したのに、全然聞いていない、という態度。
あの手この手を使って説得を試みるも、聞く耳を持たず。
最初から廊下のようなところに展示するのには抵抗があったけどプロジェクトルームのことがあったから仕方なく壁を作るということで妥協したのに、これでは作品がかわいそうだ。我が子を守る母の気持ち。
ライトの作品は人の動きにセンサーが反応して微妙に変化する作品だから、ただでも向こうにあるビデオは大音響で、その上光を放って動くイメージが目に入ってくるのは妨害でしかない。
反日すったもんだしたあげく、諦めるしかなかった。英語で議論して勝てる訳が無い。そもそも議論になっていない。身長の差と年齢の差がそれに追い打ちをかける感じ。自分って弱いなあと思う。それでも果敢に戦ったけど。
当のビデオの作者本人は構わないと言ってるのに、完全にオーガナイザーの独断。
久しぶりにほんとに頭に来た。でも怒りというよりも疲労と虚脱感。
何日か分の仕事がパー。
昨日寝てないのはなんのためだ。
しかもその後しなきゃならない仕事が増えた。
撤去した壁のパネルを使って別の場所にドローイングのための壁を設置。
ビデオモニターの為に作った台座も使用不可。
友達の助けが無かったら作業的にも精神的にも無理だった。
でもなんとか終了。
鼻の下の膿痂疹はこの一週間で鼻の穴周辺と右の頬へどんどん広がり、見た目にかなり痛々しいだけじゃなく、時々痛い。
今日やっと薬局で薬を手に入れた。
普通なら医者の診断書が必要なのだけど、旅行者だと嘘をついた。どの薬を手に入れればいいかわかってるのに、わざわざ時間をかけて予約を取って医者に見てもらって診察料を払う気にはなれない。薬局の人も、俺の顔を見れば明らかだったからか、例外的に売ってくれた。 早く治ってほしい。これじゃあキスもできない。
写真は展示し終わって、その後撤去したドローイング。


2005.11.21
結局徹夜
オープンアトリエ初日まであと二日。
メインのインスタレーションが二つほぼ完成したというのに、結局徹夜。
欲張り過ぎなのかも。
今はビデオの書き出し中。
ちょっとしたことなのに、ビデオって時間がかかるな。
2分のビデオ作るのに何時間かかってるんだか。
大学1年の時以来で平面の作品を展示しようとしたけど、甘く見てた。思ったより手こずった。
CADで描いたドローイングをプリントアウトしたものをパネルに転写。A3を15枚つなぎ合わせる。
やったことないのに1mx2mだからやっぱり無謀だ。
転写されきれずにできた隙間をひたすらペンで修正。
あとはまだデジタルプリントのフレームも作らなきゃ。
あとカーテンも。
やっぱり最後はどたばただ。
まあ二日あればなんとかなるかな。

2005.11.20
完成写真






2005.11.19
制作日記2






水曜日、スポットライトのセンサーを取り付ける金具を作ろうと思ったらメタルワークショップのアドヴァイザーを見つけられない。アルミの材をちょっと分けてもらいたいだけなんだけど。しょうがないからドームの続きを始める。どんどん組立っていくのが楽しい。ビス止めするのにもう一人押さえててもらう人が必要だ、と思ってるところで友達が助けにきてくれる。グンとスピードアップ。数えきれないくらいの部品を全部順番に一つずつ手渡してくれるというだけで作業効率がかなり上がる。まだ当分かかると思ってたのに、もうすでに終わりが見えてきた。そしてあっけないくらいに組み立て終わってしまった。心配していたサイズの狂いなどはほとんどなかった。時間をかけて部品を正確に作ってきたかいがあった。
オープン一週間前にしてほぼ完成というのは初めてかも。でもまだやることはいっぱいだから、これでちょうど良かった。いくつかのうちの一つが完成したというだけ。まだライティングも掃除も残ってるし。でもメインのが形になったというだけで一安心。
木曜日、いつもより少し長めに寝たはずなのに、寝起きから具合が悪い。倦怠感と吐き気。ポリ取りを徹夜でした後みたいな感じのだるさ。たぶん緊張の糸が切れたんだろう。もう歳なのか。今までは多少無理してもこんな風にはならなかったのに。鼻の下に膿痂疹という皮膚感染症ができていて、ひどい顔。なかなかなおらない。でも今日こそはメタルワークショップで作業しないと。センサーの配線も残ってるし。夕方、センサーの取り付けを終わって、夕食後に仮眠。やっぱり寝不足だ。少し寝たら楽になった。これから作業。ライトの作品は廊下のようなところに設置してるから、夜人がいないときの方がやりやすい。
スポットライトの調整を終え、配線を全部つないで、スイッチオン。そして問題発生。最初の数秒ライトがついたあと、全部消えて、もうつかなくなった。あー、また明日早く起きないとだ。
あ、全部完成したところの写真取り忘れててアップできなかった。
ライティングもしてからあとでまた撮影します。


2005.11.18
制作日記1






ずっと作ってた作品がほぼ完成。
恐ろしく長かった部品の制作に比べて、組み立ては予想以上に早かった。
月曜の夜、パーツが全部そろって、組み立て始める。もうこうなったら、寝られない。間に合うかどうかというよりも、興奮してきて、早く完成したところが見たい。でも次の日のことを考えてぐっとこらえて3時には帰宅。
火曜日、昼間はもう一つ別のスポットライトを使ったインスタレーションの準備。こっちも早く進めないと、最後に電気系統で問題があったときに対処しきれないから。夕方、友達に手伝ってもらって、作品の一番大きい部分の組み立て。直径約5メートル、高さ約3.5メートルのドームが完成。夕食後はまたスポットライトの調整。


2005.11.10
制作過程




画像は作品の部品をプロジェクトルームに引っ越した直後の写真。
ちょっとミニマルアートみたい。
こんな広い部屋を使えるなんてほんと贅沢。
夜中に制作しながら歌うと声がよく響いて気持ちいい。
部品の接合部分をサンダーでヤスってぴったり合わせ、ビス止めのための穴をあける地道な作業。
一本一本の部品に番号をつける。
ちょっと宮大工っぽい。
でもビス使ってる時点で宮大工じゃないけど。
昨晩重大なミスを発見。
しかも16本中13本やったところで気づく。
やってもたー。
まあ修復可能だから大丈夫だと気持ちを落ち着けるしかない。
ミスの内容よりそのミスにかなりの間気づいていなかったことの方が怖い。
まだこれからやらかしそうだなー。


2005.11.08
ちょっとびっくり
朝スタジオに来て、エスプレッソマシーンを火にかけて、さあコーヒーを飲もうと思ってふたを開けたら中には透明な液体が。
エスプレッソマシーン壊れたー、と思ったら、ただコーヒーの粉を入れ忘れただけだった。
ばかばか。
こんなの初めてだ。
疲れてんのかなー。
やー、あと二週間だ。
たぶんこんな卒業制作みたいな感じはもう最後なはず。って、今まで何度これを繰り返してきたんだろう。
でももう学校みたいなところには行かない、はず。
ライクスはレジデンスだけどやっぱりちょっと学校っぽい。
アシスタントぐらい雇えたらなー。
さあ仕事仕事。。


2005.8.13
Food Festival
フードフェティバルの自分の番が急にやってきた。
フードフェスティバルというのは、ライクスの同僚何人かで土曜の夜に一緒に夕食を食べる会なのだが、毎回参加者のうち一人が自分の国の料理を作るというもの。
第一回はスツィリのタイ料理、二回はエステバンのアルゼンチン料理で、三回目はインティのキューバ料理のはずだったのだが、インティが日曜日からスイスに行くから土曜日は無理だ、ということが急にわかって、突如日本料理の順番が回って来た。
最初にこのアイデアを考えだしたのはスツィリとエステバンとインティの三人で、自分は後から加わった、というか、第一回のときに来れなかった人がいて料理が余るからと突然食事に呼ばれて、タイ料理をごちそうになったら自動的に加わってしまった。毎回少しずつ増えている。今回新しく加わったのはイスラエルのガル。
最初の三人はさすがに異国の料理に対して興味津々で、エステバンとスツィリは昼から買い出しに行くのに一緒について来て、運ぶのも手伝ってくれた。アムステルダムに明治屋という日本食材を売っている店があって、中華街の店の日本食材のコーナーにないようなものもそこで買える。アルゼンチン人やタイ人が食べたことも見たこともないようなものがいっぱいある。エステバンは玄米茶とカレールーを、スツィリは鰻を購入。日本食の中で鰻が一番好きらしい。
明治屋の後は土曜日で賑わっているアルバートカイプのマーケットでサバを買い、大型スーパーで野菜と飲み物を買って一旦家に戻り、しめ鯖の仕込み。鯖を三枚おろしにして毛抜きで中骨を抜く。「やっぱり日本料理は手間がかかるね」と言われる。日本だったら既に骨も抜いてあるのをパックで買えるけど、っていうか日本にいる時はしめ鯖自体作ったこともなかったけど。
その後米を切らしていたのでチャイナタウンで米その他を買って、再び家に戻って来たら、もうインティが来ていた。みんなどうやって料理するのか見たがっていて、それもフードフェステバルの一部みたいだ。作っている一つ一つを説明しながら料理。順序と段取りを考えながら何品かを同時進行していると頭がいっぱいいっぱい。
この日の献立は、しめ鯖、インゲンのごま和え、きんぴらごぼう、大豆とひじきの煮物、ちらし寿司。きんぴらごぼうにこんにゃくを入れたり、ひじきとか、ちらし寿司でしそを入れたりとか、みんながあんまり食べたことのなさそうなものを選んだ。ちらし寿司はすし太郎を使ってちょっとずるしたけど、米を炊くときには少し酒を入れて昆布を上にのせて、少し本格的に。
デザートの白玉団子を茹でて冷蔵庫に入れた所で食事開始。大好評。しめ鯖の生なのに生じゃない感じにみんな驚く。白玉団子にかけたきな粉もみんな初体験。料理は普段からしてるけど、10人分なんて滅多に作らないから、どっと疲れた。この先キューバ、イタリア、イスラエル料理と続く。楽しみだ。


2005.8.8
テレビ
前回の日記に続いて、テレビの話。
日本のテレビが恋しいのです。
さんまのからくりテレビとか、学校へ行こうとか、まだやってるんだろうか。
世界まる見えテレビ特捜部とかも好きだったなー。
何もしないでぼーっとテレビ見るのも好きなんです。
でも英語だとぼーっとしてたら何言ってるんだかあんまりわからないので、やっぱり日本のテレビが見たくなってしまいます。
そんなとき、ミスター・ビーンはほとんど言葉がないから普通に楽しめます。
オランダに住み始めた一年半前を考えると、英語での生活も大分馴染んで来たとは思うけど、それでもやっぱりこっちの生活が長くなる分だけ、日本語に対する飢えのようなもの増すみたいで、日本の本を読んでる時間とインターネットをする時間が増えています。そして先月、持っていた日本語の本を全部読み尽くしてしまったので、アムステルダムのホテルオークラの中にある日本語の本屋さんに行きました。ここの本は全部日本で買う値段の2倍くらいするけど、それでも夜の枕元の友を得るべく、高くても買う気で行ったのに、なんと数週間前に隣の町に移転してしまっていたのです。アムステルダムに一軒ぐらい日本語の本が買える店があってもいいのに。。移転した先は日本人が多く住むアムステルフェーンという所で、まあそっちの方が商売としてはいいのかもしれないけど。
その後、アムスの大きい本屋さんの古本売り場に、世界各国の古本もあるらしいとの情報を得て、行ってみました。そして、かなり奥の方の棚に、日本の本が少しだけありました。その多くがビジネスマンが読む類いのもので、なるほどと思いました。貿易のこととか、国際社会に関することなどです。そのなかから、美味しんぼを2冊見つけたので買いました。


2005.8.6
8月6日は
8月6日土曜日、アムステルダムでは、ゲイのパレードがありました。
様々な格好をしたゲイやレズビアンの人達が飾り付けられたボートに乗って運河をパレード。
オランダは世界で初めて同性婚が合法化された国。
ボートによってテーマがあるらしく、華やかに着飾ったドラァグクィーン、筋肉マッチョ軍団、スイミングクラブ、レスリング、全身タイツ、制服のコスプレ、レザーなどなど、いろいろあって面白い。
運河の周りの橋や道路は人でいっぱい。
オープンな国だなーと思う。
8月だというのに最高気温が20度にもならず、時々雨も降って寒いくらいだけど、ボートの上の半裸の人たちは元気いっぱい。
家でテレビをつけたら、日本語が聞こえて来た。
広島原爆投下から60年。
追悼の記念式典をオランダ字幕で放送していた。
夜には被爆者の体験のドキュメンタリーも。
オランダのテレビは外国語をほとんど吹き替えをせずに字幕で放送する。
イギリスの放送も一日中流しているから、オランダ語がわからない自分には助かる。多くのオランダ人が英語を流暢に話すのもテレビの影響が大きい。
それにしても、アムステルダムでテレビを通して広島弁を聞くというのは、なんだか不思議な感じ。
でもこうやって広島のことが世界で放送されているというのはいいことだと思う。オランダ以外の国はどうなのかわからないけど。


2005.2.10
歯医者
朝からショートプレゼンテーションがあって、その後歯医者に行った。今日で二回目。前に行ったのは去年の12月の中頃で、早くなんとかしないと痛くてどうしようもない。それにしても、言葉のわからない国で歯医者に行くというのはちょっとした冒険だ。だから髪だって自分で切るけど、虫歯はどうしようもない。もうずっと前からそこにそれは侵略していたけど、忙しいのを理由にずるずるとそのままにしてて、もう限界というところまできてしまった。オランダで歯医者に行くとえらく高いということを聞いていたので、知り合いに教えてもらって医大の学生が実習で治療してくれるというところに通っている。ほとんど街のはずれにあって、自転車で40分近くかかるけど、まあたまにはいいサイクリングだ、くらいに思っていたら、歯医者の日には必ず雨が降る。でもオランダ人と同じように濡れても自転車でぐんぐん走る。
オランダ歯医者初日、雨に濡れて受付に行くと、「オランダ語は話せないのか」と何度も聞かれる。いくらオランダ人のほとんどが英語を話せるといっても、普通の歯医者じゃないから、オランダ人以外の人が来ることは滅多にないのだろう。初回は健康状態をチェックするためのアンケートに答えなきゃならないけど、もちろん全部オランダ語。「この質問用紙は自分で答えられないんだね?」ってなんども聞かれて、半分呆れた顔をされて、まあ担当の学生に手伝ってもらえばいいよというようなことを言われて、ああなんだか間違ったところに来てしまった、と思っていたらその担当の学生は結構親切に英語で一つ一つ質問してくれた。それにしても英語にしたって普段使わないような単語がいっぱい出てくるから、どっかで間違った答え方をしてたかもしれない。不安は募るばかり。
でもまあやること自体は日本の歯医者とそんなに変わらなくて、口の中をチェックして、一通りレントゲンなどを撮って、そして今のレントゲンはもう全部デジタル化されていて全部コンピュータで処理してて、時代は進んでるな、なんて思ったりした。でもとにかく、それは歯医者の実技実習なので、何をするにもいちいち先生の人に見せて、指示を仰いで、ということをするからえらく待たされる。そして彼らは僕には全く理解できないオランダ語で色々話して、自分の現在の口の中の状況についてどんなことを言っているんだろう、と思いを巡らす。
一段落して、彼は「Do you want to be patient?」と聞いてきた。
何?これから何か痛いことでもするのか?なんでそんな「我慢したいか?」なんて意地悪な効き方をするんだろう?と、一瞬怯え、一瞬戸惑ったが、「be patient」は「我慢する」の意味ではなくて「患者になる」ということで、ここまできて口の中を見てもらってるのにまさかこれから治療して欲しいかを聞かれるとは思わなかった。初めての場所で言葉が通じない、という状況では自分の考えに自信がもてないものだ。
「痛いことされたらどうしよう」と思いながら「Yes」と答え、話を聞いているうちにやっぱり患者になるかどうか、ということだったので安心した。
とりあえずその日はそれ以上状態が進行しないように仮の詰め物をして、また次回に治療する、ということで、また長い間口の中をいじりまわされて、帰宅。
そしてなんと!帰って口の中を見てみたら、痛かった虫歯の歯の隣の歯に仮の詰め物が詰め込まれていた!その歯は少し前に銀歯がはずれてしまってそのままになっていた歯で、その歯は虫歯じゃないとおもってたんだけど。。そして明らかに虫歯が進行中の穴がぽっかりあいた隣の歯はこれからまだ進んでしまうじゃないか。
僕は寝ているときに歯ぎしりをするらしく、たぶんそれが原因で銀歯を詰めてもはずれてしまったりずれてしまったりしやすいらしい。虫歯の歯も大きい銀歯をかぶせた歯で、微妙に元の歯との隙間がいつの間にかできてしまったらしく、そこからどんどん進行してしまった。そんなところ、いくら磨いたって小さい隙間から進んでしまう。って、原因はそれだけじゃなくて甘いものを食べ過ぎるのもあると思うけど。。
そしてほぼ一ヶ月の間で虫歯の穴はほんの少しその大きさを広げつつ、痛み止めを飲んでベッドに入る夜を何度か越え、やっと2回目の今日。
家を引っ越したので登録した住所の変更をしようと思って受付の人と話していると前回担当してくれた学生が近づいてきた。「Hi」と言って、彼についていこうとしたら、「君は僕と一緒に来るの?」と聞く。ん?なんでそんなこと聞くんだ?「でも、予約を入れた時間通りだよね?」と聞くと、彼は「あれー、そうだったけー?」と、全く聞いてなかったようで、「ちょっと確認してくる」と言って奥に行ってしまった。おかしいと思って待っていると、女の人に名前を呼ばれた。彼女に聞くと、担当の学生は前回とは入れ替わっていた。そんなの聞いてないよ。
前回は長身でパーマのオランダ人で、今回は中国系の女の子。オランダはけっこうオランダ生まれの中国人が多い。オランダ人と全く変わらない感じでオランダ語を話す。
今回は間違われないように、しっかりとどの歯が痛いのかをわかるように説明して、前回レントゲンは撮ってあったので早速治療にかかった。
それにしても、ただでさえ歯医者というのは居心地のいいものではないのに、言葉がわからなくて、その上相手は学生だから、どうにも落ち着かない。前回の誤解もあるし、どっかでミスをしたりするんじゃないかと結構怖い。でも今回の彼女はわりとこまめに、今から何をする、とか説明してくれたり、大丈夫か聞いてくれたりして、少しずつその場に慣れていくことができた。
先生に麻酔を打ってもらって、治療開始。まずははめてある銀歯を取り外すところから。削った金属が口の中に入らないように、ゴムの膜で作った漏斗のようなものを口にはめられる。その時点から口は強制的に開きっぱなし。顎がだんだん疲れてくる。治療の間に時々口を閉じて休むことができない。機械の先を取り替えたり、先生を呼びに行っている間も、ずっと開きっぱなし。歯を削られているから痛いのか、口を開け続けているから痛いのか、わからなくなってくる。「痛いときは言ってね」と言ってくれてはいるものの、どうやって言えばいいのか方法はわからない。最初のうちはある程度の痛みなら我慢できるさ、と思っていたが、銀歯を取り終わって歯自体を削り始めると神経にかなり近い所まで来ていて、時々かなりの痛みを感じる。どっちにしろ口で言うのは無理だとして、ジェスチャーで示すにしても、オランダ人と日本人ではジェスチャーの受け取り方が違うかもしれない、なんて考えながら、眉をしかめて痛みを顔で表現する方法をとった。これはうまく通じたらしく、「痛い?」と聞いてくれて、かすかにうなずいて見せて、でもだからといってどうするわけでもなく、彼女にももうそれが神経に近いところまで来ていることは見えているのだ。彼女がだいたいやり終えたところで、先生のチェック。そして先生自ら削り始めた。そしてその先生の強引なこと!「そこは神経に近いから慎重にやってよ!」って心の中で叫んでてももちろんお構いなし。眉で苦痛の表情作戦を実行するも、そもそも表情なんてまったく見ていない。なんて長い一日。
彼女が治療してくれている間に、もう一人中国系の男の子が助っ人に来た。そしてもう一人、これまた中国系の別の女の子が時々様子を見に来る。オランダ語を話す中国人三人に囲まれてなんだか不思議な状況。三人はみんな親戚同士で、親も家族もみんな歯医者らしい。日本人の患者なんて滅多に来ないのだろう。アジア人だと親近感が沸くのかもしれない。男の子はなんだか興味津々で、どうしてオランダに来たのかだとかオランダ人と日本人の女の子はどっちがかわいいかだとか俺は寿司がすきだとか、いろいろと話しかけてきた。大学の歯医者っていいかもってその時思った。口の中をいじられるのってすごく無防備だから、相手が学生だと、歯医者と自分のほとんど主従関係のような状態をちょっと違うものにできる感じがする。
雨の中ライクスに帰ってくると、I崎さんが遊びにきた。今週の土曜日からアムステルダムで展覧会があるらしい。オープンスタジオの時の作品で遊んでもらって、いろいろ話をした。家に帰って麻婆豆腐とワカメスープと酢の物をご馳走した。
それにしても、長い日記を書いてしまった。


2005.2.8
ビデオ編集
no.29とno.30にもビデオ画像を追加しました。
ライクスでは1月にアーティストの半分が入れ替わるので、自己紹介を兼ねて4週にわたり毎週木曜日に一人5分程度の簡単な作品のプレゼンテーションをする。今回はそれにあわせて作品のドキュメンテーションのビデオを編集してみようという気になって、最近はちまちまビデオ編集してた。過去の作品はだいたいビデオに撮ってあるけど、プレゼンテーション用にまともにちゃんと編集したことはあまりなかった。無編集のテープはたまって行くばかりなので、とりあえず去年作った4作品にしぼって、技術的に慣れるところから、ということで。
でも、作業的にはあんまり面白くない。ビデオアーティストにはなれないだろうと思った。レンダリングにしょっちゅう待たされるし、とにかく何回も巻き戻したり早送りしたりして同じ画像を見てるとだんだん飽きてくる。作品そのものじゃなくて過去の記録だからってのもあるかもしれない。絵を描いている友達が、簡単な家具か何かを作ろうとしたときに三次元的な空間を考えるのが苦手で思いもよらないところでミスをした、という話をしていたけど、人それぞれに、二次元、三次元、そして時間軸にかかわることに適した思考回路とか脳の適性ってあるのかもしれないと思う。そして確実に映画監督とかビデオアーティスト、あときっと音楽家も、時間軸でものを考えるのが得意なんだろうな。そんな人々がちょっとうらやましい。
自分は大学で彫刻をやっていたのもあって三次元に関してはある程度自信があると言っても差し支えないと思うけど、でも僕の考えでは三次元はいつだって基本的に時間軸とは切れないものだと思っている。もちろん目が二つあることで世界が立体的に見えてるわけだけど、その視点が空間の中で動かないことには本当の意味での空間の把握にはならないし、そうやって自分が能動的に動くこととそこからのフィードバックとの関係の中で知覚が成り立っている、っていうのが僕の制作の基本にある。でもここで言っている時間は時計が刻むような時間とは違って、その人、その場合によって長くなったり短くなったりする(そういうふうに感じられる)ふにゃふにゃしたものだから、ビデオを編集するみたいにその時間を外側からコントロールすることはできない。ここを何秒と何分の1で切って次の画像との間に何秒トランジションを取って、、なんてことをしているとだんだんなんだかわからなくなってくる。ビデオの編集作業は基本的にこの時間の長さをこういうふうに感じるものっていうのを他人がどう感じるかっていうのを想像しながらやらなきゃならないからよけいにややこしい。でもそれをうまくできる人は現実に感じてる時間感覚とはまたまったく違う時間の世界へ没入させることができる。それは基本的に自分のやりかたとはかなり違うけど、でもそうすることができる人をやっぱりうらやましいと思う。
なーんてことをぼんやり考えていてもビデオをうまく編集できないことの言い訳にはならないから、誰かチャチャッと代わりにやってくれる人いないかなーなんて思ったりする。


〜2005.1.282006.3.23〜